第126回エフエムあまがさき放送番組審議会議事録
1 開催日時 令和5年1月24日(火)15:00~16:10
2 開催場所 尼崎市総合文化センター 3階ミーティングルーム
3 出席者等 出席委員数 5名
出席委員氏名 久隆浩、内藤吉子、榊千波留
狩谷趣譲、安田博之(敬称略、順不同)
放送局側出席者 小田さゆり、藤本邦洋、長谷博行
4 会議内容
事務局:本日の出席者は委員数5名の出席で審議会は成立しております。
また、事務局3名の出席でございます。
ここからの会議の進行につきましては、久会長にお願いいたします。
会 長:報告事項「JCBA放送賞の結果について」を
事務局より説明お願いします。
事務局:昨年11月25日に白浜で開催されました、JCBA近畿地区協議会が
主催する第24回JCBA放送賞の審議会・表彰式に行ってまいりました。
今回、全5部門のうち当局は「情報・教養番組部門」「娯楽番組部門」
「特別番組部門」「放送活動部門」の4部門に番組を
ノミネートしました結果、特別番組部門において、
「aiaiフェスタ田中行哉さん、関戸祐守さん インタビュー」が、
審査員特別賞を受賞いたしました。この番組は2021年8月20日放送の
エフエムあまがさき開局25周年の特別番組「aiaiフェスタ」にて、
エフエムあまがさきの立ち上げ、黎明期に大きく関わった二人の
インタビューを放送し、エフエムあまがさきがどのような想いを
持って立ち上げられたのか、第1回目はどんな放送だったのか、
技術的な大変さ・苦労など、貴重なお話を通して、
コミュニティラジオの役割や必要性をリスナーに発信した番組です。
あらかじめ部門ごとに設けられていた最優秀賞、優秀賞には
届きませんでしたが、特別番組部門の審査において、
外部審査員が最高得点を付けた番組であったことから、
今回、審査員特別賞として表彰されました。
財団最後の放送賞への参加でございましたので、
賞をいただくことができ、大変嬉しく思っております。以上です。
会 長:次に、議事事項に入らせていただきます。
内容は「番組の試聴」ですので、事務局より説明をお願いします。
事務局:今回お聴きいただきますのは、エフエムあまがさき最後の震災特番
として放送しました「阪神淡路大震災1.17~想いをつなぐ~」です。
内容は、エフエムあまがさきパーソナリティ武田康子さんを中心に、
元尼崎市消防局長で防災キャスターを務める野草信次さんが、
当時の被害状況を説明したり、液状化が深刻だった沿岸部の住民の
インタビューを放送しました。また、防災情報番組を担当していた、
近藤誠司・関西大学社会安全学部教授に、地域メディアが災害時に
果たす役割などを解説いただきました。
震災の経験を次世代へ繋ぐという所がテーマで、どういうアプローチで
震災を知らない世代に伝えるべきかという事に力を入れまして、
尼崎在住のパーソナリティ武田康子さんが、震災当日にご実家のある
神戸に車で二往復されたという体験があり、そちらをラジオドラマ風に
お送りしました。1時間の放送内容を、およそ21分に編集しました。
どうぞお聴きください。
※番組試聴「阪神淡路大震災1.17~想いをつなぐ~」1月17日放送
会 長:ご意見ございましたら宜しくお願いいたします。
委 員:あの時の自分をもう一度思い出した時に、
少し忘れている部分があって、語り継ぐことが、
もっと必要だったなと反省しております。
委 員:私のところは電気が通っていましたが、家の冷蔵庫の中身が
流れ出ていて、一歩進むのに足を取られました。
6,000人あまりの方が亡くなるという、大きな震災を初めて経験して、
当時高校生だった娘も、もう40代になります。
同じ小学生の友達を亡くした子供たちが、震災を語っている、
語り継いでいるのを見ますと風化させてはいけないなと感じます。
委 員:武田さんの再現ドラマのようなところがあったのが、
とても良かったと思います。武田さんの体験を聴きながら、
その日の自分の事がずっと思い出されました。
当時は武庫之荘で、母を連れて川西に向かうのにラッシュで車が
動かなかったり、公衆電話に沢山の人が並んでいたりしました。
武田さんの体験なんだけどラジオを聴いておられる、
ある程度の年代の方は同じ様に、おそらく自身のその日を
思い出すことができたのではないでしょうか。
武田さんが言われていた心残り、これが出来なかった、
あれが出来なかったというお話がありましたが、
私自身は母を連れ帰るのに必死で、周りの方と触れ合わなかったので、
そういうトラウマは無いのですが、西宮に住んでいた友人は
お隣の家が倒壊して、最初は声が聞こえたから周りの者たち全員で
助けるぞという強い思いで何とかしようと試みましたが、
重機がないと上がらない、やがてどんどんと声が小さくなり、
聞こえなくなったそうです。
それが、物凄く心に残っている人がいました。28年前のあの日、
それぞれがそれぞれの場所で必死に親や兄弟を助けて、
やれやれと思っていたのをすっかり忘れてしまい、
「生きていればいいんだ」「生きていればそれだけで感謝」と
思った私はどこへいったのかと思ってしまいました。
事務局:武田さんは今回28年前の出来事を思い出すのは、苦しかったと
言われていました。収録中に感極まるところもありましたが、
次世代に繋ぐというところで、今回お話いただきました。
委 員:偉いのは、その感情を普通に話されていたことです、
こういうのを感情を入れ込めてすると、聴いている方は
引いてしまうところもありますが、流石だと思いました。
事務局:淡々と話されるのが、逆に突き刺さるところもありました。
委 員:当時の事を思いだすのも、話すのもつらい方もおられると思いますが、
年に1回でも聞くことによって思い出すことにより、
防災意識に繋がればと思いました。
会 長:番組を試聴しながら、ラジオというか音声のみという
特性みたいなものを改めて感じたという気がします。
同じ日に恐らくテレビも様々な特集をされていると思いますが、
映像がついているのと音声だけというのは、見ている人たちにとって
伝わり方が違うと思うんですね。
確かに映像は鮮明にいろいろ伝えられますが、逆にその印象が強すぎて
情報が過多になってしまう部分があるのではないかと思います。
先ほどの意見でもありましたが、自分の想いと重ねられるというのは、
映像がない分、自分の頭の中に耳から伝わった情報で自分の記憶が
蘇ってくるという、いい意味でのゆとりがあったから、そういう感想に
なったし、そういう意味では映像のない分、凄く良かったです。
逆に考えると震災の記憶がない方は、この音声だけでどういう想いで
聴いてくださったのかを知りたいなと感じがします。
経験がなかったら、本当に語っている一つ一つの意味が
どれ程深く記憶されるのか知りたいと思いました。
リスナーさんからの感想はありましたか。
事務局:特にメッセージはありませんでした。
今言われたように私自身も震災を経験していない世代にどう伝わるのか
というところを意識して作りましたので気になっているところです。
会 長:これも推測の域を出ませんが、映像はその場では凄くインパクトは
ありますが、それは一瞬のものでそこから記憶に残りにくのではと
思ったりします。言葉だけの方が、実はそこから噛みしめるというか、
そういう効果があるのではないでしょうか。
委 員:実は私は震災の日、日本におりませんでした。
実際には経験していません。海外でも報道されていましたが、
帰国してから震災の様子を映像で目にしました。
帰国してから会社で出来ること、市にお願いして自社の
タンクローリー車に水を汲んでもらい、神戸へ運びました。
その時、怪我をした社員と映像とが重なって、今も声が重なって、
あの時自身がどれだけ右往左往したかという事を思いだしました。
委 員:震災の日、ようやく夕方たどり着いて、神戸方面の空が
真っ赤で後から長田が燃えていたと知りました。
途切れなくサイレンの音が聞こえて家に帰ってもしーんとしているのに
音がなっているような感覚であったのを思い出しました。
試聴して映像と音のスイッチは違うのかなと感じました。
会 長:事務局からは他に何かありますか。
事務局:次回の番組審議会は令和5年3月14日火曜日に
総合文化センター2階で予定しておりますので宜しくお願いします。
会 長:本日はこれで閉会させていただきます。ありがとうございました。
以 上